COLUMN

14.私のこと

北海道胆振東部地震

2018年9月6日(木)北海道胆振東部地震が起きました

悲しみの中におられる方々を思うと、なんと言葉を発してよいのかわかりません。

お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに
被害を受けられた皆さまの一日も早い日常の回復をお祈りいたします。

地震の前夜は、北海道に上陸した台風による風の音で夜中に目が覚め
窓から見える木々が風で倒されそうになっている様子をみて震え上がりました。

風が落ち着き、穏やかな朝を迎えたのものの
日が暮れると空が異様に赤黒っぽく、カミナリが絶え間なくゴロゴロと鳴ったり鳴らなかったりを繰り返しながら稲光を放っていました。

その夜中に
北海道では初めての観測となる震度7の地震が起きました。

激しい揺れと轟音

に飛び起きた私は、タンスが倒れてこないように力いっぱい押えるのに必死でした。

揺れがおさまり真っ暗な中、横で寝ていたはずの下の子供がいません。
血の気がひいて悲鳴を上げそうになった瞬間、机の下からひょっこり子供がでてきました。

子供はこめかみに小さなかすり傷をつくっていましたが、元気でした。
一緒に手をつないでリビングまで歩きました。

照明器具のカバーが外れて落ちて割れ、ガラスが床に散乱していました。
自分の部屋で寝ていた上の子も無事で、寝ぼけていました。

少し落ち着いてから懐中電灯片手に3人で外へ出ると、目に映る景色はいつも通りでした。
ご近所さんと「怖かったね、怖かったね」と震えながら話しました。

停電による暗がりの中、できる限りのガラスを新聞紙にくるみ、陽が昇るのを待ちました。
余震が続いていました。

朝になり、子供達の学校から休校のメールが入り
私の仕事も延期になりました。

テレビが見れなかったので
カーナビをつけて、はじめて地震被害の大きさを知りました。

厚真町の信じられない光景に衝撃を受けました

停電が長引くと見込まれていたので、予備の電池を買いに行くことにしました。
車を運転すると全ての信号機がついていません。
譲り合いながら、多くの車が走っていました。

ホームセンターは大行列になっていて、皆、水を貯めるためにポリタンクをいくつも買っていました。
これまで使えていたスマホも、電池残量があるまま圏外表示で使えなくなっていきました。

地震発生後2、3日は規模の大きい地震が発生することが多くあるという注意勧告に
子供たちを守るには一体どうしたらいいのかとそればかり考えていました。

余震が続き、夜になると不安が増し、無事に朝を迎えられるように祈るしかありませんでした。
道路を歩く時も、揺れが来たら3人で手をつなぐよう子供達に言い、離ればなれにならないことを願い続けていました。

2、3日が過ぎると、今度は、地震発生後1週間は同規模(最大震度7程度)の地震の可能性があるとの注意勧告に緊張が続きました。

断水も建物の倒壊もなく、停電と怖い思いをしただけで、被害と呼べる状況がほとんどなかった我が家でこの状況だったのです。大きな被害に見舞われている方々の心労・心痛はいかばかりかと言葉にできません。

 

生まれ育った北海道。想い出の地が数多くあります。
北海道全域が停電した夜、家の上にはこれまで見えていなかった

満天の星空

が広がっていました。降ってきそうな星空でした。

微力ながら、我が家も復興のためにできることをしていきたいと思っています。